学園煉獄

クラス軸を自分軸に書き直すための万里の紀行文

ラーメン屋にいかねばならない

コロナが5類になるのなら、今すぐにでもラーメン屋に行く。

アクリル板が消える前にだ。消えてしまえば、おいそれとは食べに行けない。

 

先日の時事通信の記事。第7波の死亡率は1.6%程度で、インフルエンザと同水準だという。

コロナ・インフル共に純粋な死亡率に比べて1桁高いから、超過死亡を入れた数値なのだろう。

 

昨年の夏基準ならばある程度の医療崩壊も織り込んだ数値のはずで、

それがインフルエンザよりやや低いと確認できたことで、緩和に踏み切ったものと思われる。

感染力が比ではない以上、コロナの死者数のほうが多くなるが、タイミングとしてはまあ納得できる。

 

適切な根拠が示されたうえでの緩和であれば、それ自体に異論はない。

想定できる残された諸問題の多くは、

今後作られるという対パンデミック用の横断組織が音頭をとって調整するのだろうし、

そうする前提のもとで対策を緩和していくことについて、重ね重ね異論はない。

 

ないのだが。

 

5類になればラーメン屋にはもう行けないし、永遠に引きこもる覚悟も必要になる。

新型コロナとインフルエンザ。その最大の違いが解消されていないからだ。

 

発症前の異様な感染力、症状のブレ、事実上の空気感染、後遺症の多さ。

それら以上に深刻な両者の違い。それは、意図的に感染を広めようとする人間の存在である。

 

インフルエンザにしろ、ノロウイルスにしろ、その他のウイルスにしろ、

意図的に感染を広め、あるいは広めさせようと世論を扇動する人間たちが、

ここまで大腕を振って活発に活動している疾病は他にない。

 

新型コロナは、特定の身体状況の人間に驚異的な特攻性能を持ち、

一度広まると約2か月半に渡り急拡大を続ける特性がある。

それが分かっていながら意図的に拡散する行為が、殺人でなくて何なのだろう。

それが何故か、公然とまかり通っているのだ。2年半以上にもわたって。

 

小林よしのりは「老人が死ぬウイルスはエコで歓迎するべき」とのヘイトを描き続け、

ブラックマヨネーズは「コロナ弱者をトロッコで轢き殺す決断を!」と政府に呼びかけた。

ファンしか聴かないような深夜ラジオの話ではない。フジテレビの昼番組での発言である。

 

この種の悪意ある発信は枚挙にいとまがない。

2022年の5月下旬には、テレビ朝日報ステが、経済学者の成田悠輔と組んで、

「無意味な同調圧力、空気を読まないことが大事」と大々的な反マスク特集を放送した。

当然ながらこの主張には医療的な知見や科学的な根拠は一切伴っていない。

放送から約1か月半経った頃には案の定、第7波の感染がいよいよ本格化していく。

 

ちなみにこの成田悠輔だが、先日AbemaTVで高齢者の集団自決を推奨して炎上したらしい。

つまりは明確な殺意のもとで基本的な感染対策を貶めたわけだが、

共犯となったテレビ朝日は、10月にも異様な反マスク特集を組んでいた。その先の第8波である。

 

コロナ弱者への明確なヘイトを表明した人物と言えば、白饅頭(御田寺圭)を思い出す。

「五輪反対論は陰キャの私怨」とレッテルを貼り、命の問題から目を逸らさせようとしたライターだ。

7波では医療従事者へのヘイトも扇動していた。

 

よくもまあ、平然とそんなことができるよな。そうは思いませんか。

金のため、あるいは単なる自己満足のため。

テレビで、雑誌で、検索エンジンのニュース見出しで。

コロナを軽んじさせるデマを吹聴し、感染拡大を呼びかけ、コロナ弱者を必要な犠牲と貶める。

医療崩壊が多数派の国民に被害を及ぼし始めると、責任逃れに医者をバッシングしてみせる。

ヘイトスピーチでしょう。こんなの。人権侵害ですよ。法の不備で蔓延っているだけ。

 

政府がその種のプロパガンダNOを言ったのは1回きり。

GoTo撤回後の20211月に、5類主張は時期尚早って言っただけです。

実質は感染拡大勢力と政権のライン切りで、積極的に僕らの人権を守ろうとしたものではなかった。

 

最近また見かけるようになった「5類になるから日常が戻ってくる」という反吐が出る言説も、

奴らがプロパガンダの一端で流したデタラメの印象操作に他ならない。

感染対策や制度自体がコロナ禍であるという詭弁だ。

それが今、おそらく悪意があるわけではないような人間にも信じられている場面が散見される。

 

日常が戻る? そんなことはない。ウイルスは残っているのだから。

5類で日常が戻るなどというのは、相も変わらず命の問題であると認識していないバカの戯言で、

そういう奴らは今後、感染拡大を一顧だにせず行動するのだろう。

最悪、感染防止に気を配る人たちを嘲笑しだすかもしれない。奴らの悪意は計り知れないから。

 

検索エンジンのニュース欄。どういう神経で「いいね」つけてるんだ?

 

 

死亡率の数値は無視できないが、絶対数からは目を背けさせられている側面がある。

そこに奴らの悪意が介在していないと言えるだろうか。

奴らは、「コロナだけ特別扱い」「感染しないことが人生の全てなの?(笑)」とほざくが、

こういった難癖は特大のブーメランでしかない。

「他人の悪意によって一方的に安全を害されないこと」は人生において他の何にも勝る。

 

マトモな人であれば、もはや2020年に流行った殺しのプロパガンダである

「新型コロナはただの風邪」のような単純なデマには騙されないだろう。

だが、奴らは手を変え品を変え、新型コロナで失われる命を人々に無視させようと画策してきた。

そのために繰り返されてきた奴らのプロパガンダの一部は、確かに今も世間に息づいている。

 

「経済を回す」が金科玉条とされ、コロナ弱者の声や命は徹底して無視された悪夢の2020年。

あのムーブメントを再び起こし、今度こそ世間に根付かせようと、虎視眈々と機会を窺っている。

 

2020年に奴らに騙されてしまった多くの人たちの意識の変化は、東京五輪で感じ取れた。

そんな皆さんは今も感染防止を考えながら日常を送ってくれていると思うし、

持病がある身として感謝している。だからこそ2020年のことを今さら責めはしない。

悪いのはデマを流して世論を感染拡大へ煽り立てた連中だ。

緩和に反対ではないけれど、その連中が変わらず活動しているのが恐ろしい。

 

奴らは悪、デマと詭弁は人権侵害。

そう定義してコロナ拡大勢力にNOを突き付け、2020年のような人権侵害のプロパガンダを、

二度とさせない許さないと社会が約束した時はじめて、コロナ禍の終わりが見えてくる。

 

現状その気配がさらさらないので、5類になったら今以上に外には出られない。

ポケモンとナルトと呪術廻戦(SVトンデモ感想)

「おまえだけしか着目しないポイントに謎の意味を見いだして熱くなってもさぁ……」

と言われたことがあります。なぜ僕の漫画やゲームの感想が誰にも読まれないかの話です。

 

思い当たる節、たしかにあるけれど。タケノコの先っぽがごとく無数に詰まっているけれど。

「どこかに居るはずの似たような奴にとどけ!」って想いでネットに書いてるわで……。

 

自分みたいな奴がどこかに居ると信じて、ポケモSV関連の、そういう類の感想を書きます。

 

 

突然ですが皆さん、アオキさんは好きでしょうか。

スルメキャラの多いSVにおいても屈指のスルメであるところのアオキさん。

噛まないと味が出ないなら出番を増やせというわけで、

他の同僚たちよりちょっぴり出番が多くなっています。

 

お陰でジムリーダーやら四天王やらと一緒に和気あいあいと二次創作され、

プレイヤーから愛されている良キャラとなりました。

 

無口なようで語り出せば案外お喋りで、

不愛想ながらエンディングにはさりげなく顔を出す義理堅さ。

この人となり描写が実にリアルで、実際こういう人いるし、

このタイプの人のこういうところが良いよなって僕が思う魅力を、

的確に描きだしていて最高でした。

今回のヘンテコ感想のキーマンはアオキさんです。彼から感想が連鎖していきます。

 

さて、このアオキさんですが、誰かに似ていやしないでしょうか。

 

 

寡黙で陰キャな実力派サラリーマン。ビジネスライクに見えてしっかりと情がある……。

そう! 『呪術廻戦』の七海健人です。ここは瞬時に連想してほしいところ。

ほら、昔なんてガンダムの台詞言うモブとかいたし、影響があってもおかしくありませんよね??

 

 

『呪術廻戦』も、特に暗い意味で多様性が意識されたキャラクターが多く、

いじめに毒親に事故死。田舎の閉塞感に、障害と才能と男社会。

あらゆる社会の不条理が描かれながらも、「暴力的な古い笑いが好き」な下ネタ芸人がいたりする。

『呪術廻戦』は血生臭いながら、真正面から多様性に挑戦している漫画だ。

 

そして、読んでいてモロに影響を感じる作品に『NARUTO』がある。

言わずと知れたレジェンド漫画だが、その第1話に『うしおととら』に酷似したコマがあり、

連載当初物議を醸したことは、今どれだけ知られているだろうか。

 

無論、あのコマはパクリではなくオマージュだと、断言できる。

岸本先生がオリジナリティの為に血の滲む努力をしてきたことは単行本で語られているし、

ジャンプ編集部が、あんなに売れそうな漫画の1話で、パクリにOKを出すはずがない。

絶対に譲れない意図があって、構図を寄せにいったはずなのです。

 

 

件のコマは、『うしとら』の中でも特に印象的な、カマイタチの十郎のエピソードのもの。

岸本先生はあえて、十郎とナルトを被らせるような描きかたで第一話を始めた。

ナルトが火影になることで、非業の死を遂げた十郎を追悼する意図があったのだと僕は思います。

物議を醸したあの第一話は、ガチファンによる壮大な二次創作だったのではないでしょうか。

 

人間を殺しまくって奴らの中に俺の名を刻むんだと絶叫する十郎が、僕は大好きなのですが、

NARUTO』の成功によって多くの人の中に、ある意味で十郎の生き様が刻まれました。

それと同じことが、ナナミン→アオキのラインによって、『ポケモンSV』でも起きています。

 

『呪術廻戦』は『ポケモン』よりずっとシビアで血生臭いので、バンバン人が死んでいきますが、

学校でいじめの仕返しで大虐殺をした吉野順平くんは、その先陣を切ったキャラでした。

 

あの結末は大分丁寧にフォローとなる描写がされているのですが、バッドエンドなのは確か。

ナナミンもその場に居合わせましたが、順平くんを救うことはできませんでした。

 

 

翻って『ポケモンSV』はどうでしょう。

いじめられていたスター団は、

センセーショナルすぎる仕返しが原因で学校に居場所を失い、

毒を食らわば皿までと迷惑集団と化していました。

しかし真実を知った校長は自ら頭を下げ、恩赦を出し、全員を復学させました。

 

いじめ被害者によって大切なことは何でしょうか。

僕の体験をもとに話せば、一番は、加害者をしっかり悪者にし、

傷つけられた被害者の尊厳が、かけがえのないものだと周囲に知らしめることです。

これをやらないと、被害者はいつまでも自己肯定感の喪失に苛まれることになります。

 

『呪術廻戦』において被害者の順平くんは死んでしまいましたが、

この点のケアだけはしっかり描写されました。

しかしこの方法は、尊厳の概念を解さぬ年齢でも遊べる『ポケモン』には不向きです。

 

では二番目に大切なこと。

もし最初の加害者を制裁せず、被害者に理不尽への忍耐を求めてしまったときは、

被害者に反撃の自由を認めることです。

 

これはこれで暴力的であり、一般には奇麗事によって否定されるのですが、

だからこそ、いじめ問題は根深く、場合によっては被害者の苦しみに終わりがありません。

ポケモンSV』はその点に果敢に挑み、

仕返しそのものを直接描かずに恩赦だけをクローズアップするという神采配で、

これまで誰もやってこなかった解決策を世に出しました。

 

 

アオキさんにはナナミンの影響が見られます。

ポケモンSV』も『呪術廻戦』も多様性を意識し、日陰者にスポットを当てた作品です。

両タイトルは深いところで繋がっている。つまり、吉野順平くんが遂に追悼されたというわけです。

 

彼のような学生だった身として、これほど嬉しいことはない。

ありがとうポケモン。ありがとう呪術廻戦。それでは皆さん、お疲れ様でスター!

ようやくポケモンSVの感想が書けるな!(いま鬱が少しマシになっています)

『スカーレット/バイオレット』の一番の変化と言えばオープンワールド設計だろう。

野山を駆けめぐりポケモンを探す。

試験的な『ピカブイ』から挑戦的だった『アルセウス』を経て、

SV』ではようやく僕らの夢が実現した。

 

フィールドに生息する多種多様なポケモンたち。

「道一つずれただけでポケモンが違う」

かつてNPCが何気なく言った一言が現実になる。

 

この道を行けば、どんなポケモンに出会えるのだろう?

探索がワクワクに満ちているあまり、知らぬ間にレベルが上がって、

ジムリーダーが楽勝になってしまった人も多いはず。

 

忌まわしきあのカタカナ四文字によってキャラメイクが劣化し、

新しい街に向かう楽しみは激減してしまったが、

そのぶん今作のフィールド探索はとにかく楽しかった。

スカートが履けないのも、伝説のポケモンにライドしての探索が前提と考えれば、

まあ百歩、いや五百歩くらい譲るとすれば、仕方がないのかもしれない。

 

しかしそういった見かけ上の変化以上に良かったのが、今作のシナリオ!!

 

学校に転校したのをきっかけに始まる3本のストーリーがどれもよい。

どの話をどの順番で進めても良いんだけど、先が見たいから満遍なく進められる。

最初は正直やっつけシナリオが混じってると思ってたけど、いやいや、とんでもない!

どれもいい出来。まさかポケモンで涙ぐむとは思わなかった。

 

全体としては学校や青春がコンセプトだけど、

各シナリオでそれぞれやんわりと小テーマが設定されていた点も深みを出しているポイント。

 

一つ目のシナリオは王道・チャンピオンロード

バッヂを集めてリーグに挑むお馴染みのルートだ。

 

隣人で生徒会長のネモがこのシナリオでメインになるキャラクターで、

異例の速さでチャンピオンランクに昇格したネモは、

主人公の強さに目をつけると、勧誘して半ば強引にジム巡りをさせる。

馴染みのルートだから一番モチベーションが高い。

 

今作のチャンピオンは一人じゃなくて階級みたいな扱いになっているのだけど、ここがミソ。

ネモの押しの強さとバトルへの執着は正直ちょっと怖い領域だけど、

終盤になるとネモがいきなりしんみりとして、心の内をポロッと漏らすイベントがある。

 

曰く、チャンピオンランクへの到達が早すぎたあまり、対等の友達ができず悩んでいたという。

ネ、ネモ……そうか……きみはそれで、あんなに必死に勧誘を…………!

 

チャンピオンになった後のバトルで

「ライバルになってくれてありがとう」の台詞が出た時には、そりゃもう、涙がブボボモワッ。

もうこれがエンディングでいいんじゃないかな……と思った。

今作は一つのルートで一人のキャラクターと向き合っていくので、

どんどん友人への好感度が上がっていくのがいいんですよね。

 

 

お次はスターダスト・ストリート。お馴染み悪の組織を壊滅させるルート。

今作の敵であるスター団は、授業をサボってバリケードでフィールドを占拠する問題児の集まり。

主人公は謎の人物カシオペアにスカウトされ、不登校から復帰したド陰キャのボタンと共に、

スター団のアジトにカチ込んで投降させていく。

 

ボスを倒すたびに、スター団の回想シーンが入って、活動の思い出が語られていくが、

徐々にある疑問が芽生える。

 

「こいつら、結構いい奴なんじゃないか……?」

 

これは、絶対裏に何かある。スター団はなぜ、授業をサボり、迷惑行為に及んでいるのか。

どのように結成され、過去に何があったのか。その真相を、突き止めたくなってくるのだ。

 

このルートで共に行動するボタンは、

正直ヒロインとしては全く可愛くない(前作にいた姉はかわいいのに……)のだが、

終盤で満を持してバトルする時の決め台詞を見て俺は息をのんだんだ。

 

「星々のように テラスタル! なりたい自分に 変身しろ!」

(テラスタルは、ポケモンが光り輝いてタイプが変わり技が強くなる今作の独自システム)

 

台詞を見て思わず手が止まる。ああ、そうだよな。

陰キャの本音は、これだよな。

これまで何度も、そう思ってきて、その度に毎回挫折してきたんだよな。

だから引きこもって……わかるよボタン。

そのボタンが今、友達のために、こうして戦っている……

 

ボ、ボタン…………!!!

 

ここでもまた、ブボボモワッ。

スター団の真実を知った陰キャプレイヤー、この時気分はスター団だったと思う。

 

ネモの悩みが強さ、ルートのコンセプトが才能なら、

ボタンの悩みは弱さで、コンセプトはいじめ問題。

学校や青春という言葉に拒否反応が出る僕のような奴の存在を取りこぼさず、無視することなく、

避けて通れない道として全力で掬いあげてくれた。

 

多様性と言えばそれまでだし、あの忌まわしきカタカナ四文字もチラつくけれど、

流石は世界のポケモンだ。多様性に向き合う覚悟が違う。実によかった。ありがとうポケモン

 

 

そして三つめはレジェンドルート。

博士の息子のペパー先輩と、成り行きで伝説のスパイスを探すシナリオだ。

正直意味不明なルートだが、過去作の秘伝マシンに相当し、クリアすると移動手段が増える。

今作は根性があれば殆どの場所に行けはするが、各段に移動効率がアップするのだ。

 

ペパー先輩がまた良キャラで、最初はいきなり喧嘩を売られるけど、

どんどんいい奴としてのポテンシャルが滲み出てくる。好感度はうなぎ上り。

最初は移動効率のアップを狙って渋々スパイス集めに付き合う人が大半だろうけど、

ペパーのシナリオに手を付けたなら、もう協力せずにはいられなくなる仕掛けがある。

 

このルートのテーマは優しさ。そしてポケモンとの絆。

今作は青春や友情全開で来るのかと思いきや、

しっかり「パートナーとしてのポケモン」をシナリオに絡めてくるとはニクい演出だね!

 

 

そして各ルートのサブキャラたちの好感度が上がりきったところで、

最終シナリオ「ザ・ホームウェイ」が解放される。いよいよといった趣がある。

今作の伝説のポケモンであるコライドン/ミライドンの秘密がついに明かされ、

レジェンドでは未解決だったペパー&博士の親子の確執に終止符が。

 

いじめに続いて、ネグレクトもやるのか。覚悟が違うぜ、ポケモン……!

 

このシナリオも涙なしではみられない。

そして最終戦がまさかの! ポケモン初となるイベントボスなのだ!!

MOTHERシリーズとか、セフィロスとの一騎打ちみたいな、演出を進めて決着に至るやつ)

 

モンスターボールの封印」とかいう前代未聞の禁じ手を前に、過去最大にピンチな主人公たち。

トラウマを乗り越えて立ちはだかる相棒。

 

強いやつも強いばかりじゃない……

弱虫が立ち上がる雄姿を見た……

ペパーと相棒の絆を見てきた……

これまでの全ての集大成として、コライドン/ミライドンが、満を持しての、

 

バトルモォォォォォードッ!

 

ああ! ここで! この伏線回収が来ます!?

近年のポケモンにある、バトル中の仲良し演出そこで使います!?

そうだよ、戦いはしなかったけど、ずっと一緒に冒険してきたもんな。

がんばれコライドン/ミライドン……おまえが伝説だ!!

 

演出が……アツすぎるぜ……!!

 

そしてペパーですよ。ペパー。彼に関しては、決してハッピーエンドじゃないんだけど。

切ないんだけど。でも彼の周りには、最初には居なかった友達がいて。

友達に触発されて、博士とのわだかまりも解いて、一歩踏み出していく。

 

ペ、ペパー…………! お前マジでいい奴だったよ……!!

 

 

今作は、宝探しと称した青春と友情が表のテーマ、

多様性が裏のテーマと言われているけれど、

もう一つの裏のテーマは「再起」なんじゃないかと思う。

 

ポケモン赤緑の世代は僕のようにもう若くないし、ポケモンは今や普通に大人も遊ぶタイトルだ。

今作はジムリーダーや四天王やアカデミーの先生たちのような魅力的な大人たちがいて、

夢破れたり、才能が及ばなかったりしたキャラクターもいる。

普通が一番を持論とする実力者もいる。

 

多種多様な在り方をそれでいいんだと肯定する中で、

それでも何か、胸に一物抱えて生きる大人たちの背中を押すサブエピソードがある。

 

本作では珍しく美形枠のミモザ先生とグルーシャがその役を担い、

主人公に触発されて、努力し再起する姿が描かれる。

キハダ先生は「大人も日々学んでいるんだよ」と晴れやかに言う。

青春は子どもたちだけの物語じゃない。大人が変わってもいいんだ……!

 

ネモ、ボタン、ペパー、ミモザ、グルーシャ、スター団。

主人公の影響で変わっていく彼らを見て、何を感じたか。

出会った人たちの誰に共感したか。誰が好きだったか。

その感想は、プレイヤーにゆだねられている。

 

それが本作のテーマ「宝探し」の神髄ではなかろうか。

四天王戦の前後に、旅を振り返る質疑応答が用意されているのも、単なる演出ではないだろう。

プレイヤーはパルデア地方の冒険から何を持ち帰ったか。単なる美しい思い出だって構わない。

 

握りしめたものを確かめて初めて、『スカーレット/バイオレット』のシナリオは本当に完成する!

かわいいものを見るとオカマになる

昨今の世相では「オカマみたい」なる形容はおろか、

ヘテロの分際でオカマっぽくすること自体が社会悪とみなされるのではと、

かわいいものを見るたび、ポリコレ棒が振るわれやしないかと怯えています。

 

今日はかわいい猫の動画が流れてきて「なにこれェ!」って声出た。

思わず振り向いてしまいますね。後ろからポリコレ棒がこないか。

だってかわいいんだもん……

 

 

「なにこれェ!」の後にはもちろん、「かわいい!」が省略されていて、

なにこれ(かわいい!)という意味なんだけど、

これ英語だとどうなんでしょう。

 

What is this! と頭に浮かんだけれど、2匹いるから What are these! か。めんどいな。

多分同じニュアンスなら、How cute these are! とかなんだろうけど、

ここでの疑問というのは、一番大事な、cuteを省略できるのかってことなんですね。

英語は2度目からはバンバン省略するけど、最初はしっかり表明するイメージ。

 

言わずに察しろ、というのはやっぱり日本的?

「春はあけぼの」とか。

「をかし」なんて、わざわざ言わなくてもわかるでしょ、と。

 

しかし、そもそも、それならば、

英語が二度目に省略するのも、言わなくたって分かりきってるからのはず。

だったら、猫はかわいいわけだから、省略していいことになりますね。

かわいいって偉大だなあ。

 

どうやら先ほどのアカウント、

無断転載画像を自動ツイートするやつっぽいんだけど、

国際感覚がないからすんなり紹介した。

国内の「かわいい動物bot」みたいなやつなら、絶対いいねもRTもしないのですが。

 

海外ともなれば、自分とは全く関係のない領域で、

感覚的に「嫌い」の射程の外なんですよね。

あ、でも、プーチンとローガン・ポールは嫌いだな。

 

 

 

さて、いよいよ『トライガン』のアニメが始まりました!

 

昔突然映画化した時のノリで完全なアニオリをやると思っていたので、

初手からナイブズが出てきてウオォォォーーーーッ! っとなり、

人類が墜落していく中でテンションが宇宙へとブチあがっていきました。

そういう人は多かったはずです。

 

メリルまわりの設定が変わり、EDではナイ「ヴ」ズ表記と、

「パラレルですよ!」のアピールはしっかりありますが、

本筋としてナイブズ戦が控えているのは激アツですわ。

これは期待。

『THE FIRST SLAM DUNK』は、感動と興奮の最大公倍数だ!

スラムダンクの映画がたいそう面白くて困った。

やるからには半端なものは作らない。

井上雄彦がスクリーンでそう語っている。

 

これはとんでもないものを見てしまったぞ。おいそれと感想はかけない。

興奮と感動。

感情が波打って、観たあともずっとじわりと身に残って、

冷静になるまでしばしのタイムアウトを要したのは僕だけではないはずだ。

ようやく落ち着いていたので、ちょっと語ろうと思う。

 

 

「新たな視点から劇場用にエピソードを再構成した新解釈」

として公開された『THE FIRST』は、

10人中9人が公開前に期待していたものではなかったと思う。

 

公開前に炎上したのも頷ける。

でもリバイバルブームには甘えない。作るからには新しいことをやる。

そういった気概がその映像から伝わってくる。

原作者が徹底して、いいものを作ろうと拘ったことがわかる。

 

公開前に批判していた人たちが口を揃えて「いいから見てこい」と言ったのがその顕れ。

彼らもみんな打ちのめされた。

 

原作未読でも楽しめるストーリーを組みつつ、ファンも唸る試合を魅せる。

THE FIRST SLAM DUNK』すごいぞ。まさに神がかりの采配だ。これはいいものを見た。

 

 

スラムダンク』といえば、言わずと知れたスポーツ漫画の金字塔で、

1990年代の所謂ジャンプ黄金期の中心を担った漫画である。

人気の絶頂で突然(打ち切り等ではなく)連載が終了したことで、

読者の熱狂はそのまま保存され、悪く言えば置き去りになり、

それが作品の人気を不可侵で不動のものにした。まさに伝説の名作だ。

 

 

僕は少年漫画のオタクなので、オタク的な観点でいうと、

原作の面白さの肝は、個性が尖りつつも確かなリアリティのあるキャラクター達にある。

 

大会制覇という一本軸の中で、各々の個性や思いがぶつかり合って話が進む。

その展開を負う中で、桜木や流川、ゴリといったキャラクターたちが、

まるで本当に生きているかのように、読者の中で存在感を強めていくのだ。

 

もちろん、個々のエピソードが面白いから次々と展開を追いたくなるのだけど、

スラムダンクはこのキャラクター描写の積み上げが抜群にうまい作品だと言える。

 

桜木花道流川楓の確執がずっと描かれるからこそハイタッチに感動するし、

三井寿の諦めの悪さとスタミナのなさ、グレていたくだり、安西先生との思い出などの諸要素が、

強固な一貫性を持つからこそ、彼は諦めの悪い男、三井寿なのだ。

 

だが、映画1本の尺では、それらを十分に描き切ることはできない。

 

ゴリが周囲との熱量の差に苦悩する姿は描かれているし、

桜木が初心者であるとの説明は入る。不良を更生してからの猛特訓も描写される。

それでもやはり全体的に尺が足らず、

流川がパスを出した衝撃や、三井の根性が呼ぶ興奮は、だいぶ薄まっていた印象だ。

積み重ねがあってナンボの名台詞には、

やや唐突に感じるものや、そもそもカットされたものもある。

 

 

では、どこで魅せるのか。その問題の解決法がウルトラCbeat the knees

大胆な主人公変更。

スラムダンク』を、桜木花道の成り上がり物語から、

宮城リョータの葛藤と再生へと視点を変更する。

 

原作の宮城はクールなのかヒネてるのか面倒なだけなのか、

掴みどころのない飄々としたキャラクターだった。

低身長を小回りとテクニックでカバーするプレイスタイルもチームとしてはサポート役で、

全体的に一歩引いた立ち位置の印象だ。バックボーンが語られる場面も少なかった。

 

宮城を主人公にすれば、同じ試合展開でも別のドラマが生まれる。映画が一本できる。

それはファンが期待していた劇場版スラムダンクではないだろう。

でも原作者の音頭で作り上げれば、紛れもなくスラムダンクになる。

既読者と未読者が同じように楽しめる切り口でもある。

こんな「正解」が他にあるだろうか。僕は劇場で思わず唸った。そうくるか。そうきたか。

 

 

そのうえで、原作の最高潮となる山王戦後半の展開はそのまま映像化。

臨場感あふれる映像で魅せる。ファンが映像で見たかったものを今できる最高の形で。

 

モーションキャプチャーを使ったリアルな動きにプラスしてのアニメ的な表現の迫力は新次元だ。

CGのコートをリアルタイムでキャラクターが動き回り、

それでいて最良のカットを演出する位置にカメラを置ける。それはどういった効果を生むだろう。

 

見せ場では一番カッコよくポーズが決まるアングルで、

心理描写やここぞという場面では顔のアップで、

相手選手が出し抜く場面では観客もアッとなる確度から。

一番いい映像を出せるというわけだ。

 

まさに実写とアニメのいいとこどりで、自然と体は前のめり。

無意識に力が入って、手に汗握るとはこういうことなんだと気づく。

この映像は全く新しい体験だ。今でなきゃできない。

えにもいわれぬ興奮が、僕らの手に握られる。

 

 

そしてその山王戦に、宮城リョータが一体どんな想いで望んでいたかを、

新たなストーリーとして描く。

 

こういう場合、「後付けなんじゃないの」と思う人もいるだろうけど、

そこは作品の冒頭、一番最初に答えが出ているから。

なぜ原作の宮城リョータがああいう奴だったのか。

なぜ全く「そんな風には見えなかった」のか。その答えは最初に出てるから。

そこまで巡って感情ドバァーですよ!!

 

ああ宮城! お前ってやつは!!!

すごい! すごいぞ『THE FIRST SLAM DUNK』!!

 

 

赤い髪とユニフォーム、青い空にオレンジの背表紙と黄色いタイトルロゴ。

今回語られる宮城のストーリーは僕らの知っている『SLAM DUNKとはちょっと違うけど、

とにかく良いので既読者・未読者、少年漫画好きかそうでないかを問わず是非見てくれ。

そしてこのなんともいえぬ極大感情を味わってほしい。

 

言葉にしがたい感情に直面して成す術がないとき、人は海を見に行きたくなる。

今作、「海」の描写が何度か登場し、重要なキーになっている。そこに心理的な一貫性がある。

全てを一直線に貫く正解が劇場で待っているのだ。まだの奴は劇場へ急げ!

一番のお気に入りは遠足のやつ

柔らかで瑞々しい文体を手に入れるため、

『ジューンレイと概念』のブログを写し始めて3か月。

一日複数回分すすめていたら、写経が更新に追いついた。

 

商業媒体のほうがずっと瑞々しく華やかに書かれているのだけど、

毎日無理なく写すとなるとブログのほうが丁度いい。

 

効果のほどはあまり実感してないけれど、

いくらか短く書くようになった気がする。

来年は別の人のエッセイとかも写経するぞー。

 

写経用ノートはニンフィアのデザイン。

「きっとまだ何にでもなれる、華やかにもなれる」との願掛けで選んだ。

 

 

 

文体や長さよりも、写経への抵抗が薄れたことが一番の収穫かもしれない。

無理のない分量でなるべく毎日つづけていたのが良かったのかも。

そのままの勢いでツイートオブザイヤー2022 - Togetterのお気に入りたちをカリカリッと書き写した。

 

 

つまらないことは恥そのもの。

面白くない自分がずっと大嫌いだった。

小学生の頃からずっとコンプレックスで、

「みんなでワイワイ」が嫌いな理由の一つはそれ。

集団の楽しさに何の貢献もできない自分がひたすら無価値な要らない奴でいたたまれない。

 

余命があるうちに克服して、面白くなりたい。

小中の同級生のN君が理想だ。人生で会った中で一番面白いやつ。

結構かっこいいのに存在が傑作で、

息するようにユーモアを吐いては笑いの渦を巻き起こす。

おもしろがライフワークになってるような、笑いの概念を魂に宿した奴だった。

 

いっぽう僕の発言は硬くてくどくて当たり前。

トピックを因数分解して、必至にうまい一言を考えるうち、

面白人間はビシッと大正解をブチ混んでくる。それも思いもよらない切り口で。

あのまま考えたってこんな答えは出やしないと、ただただ脱帽するあまり。

 

N君、いい奴だったからよかったけど、

後の人生で出くわした自称面白人間、

大抵雰囲気だけでたいして面白くないし、それでいて我が強いからウンザリ。

ああいうのにコケにされないくらいの面白さが欲しい。N君には及ばぬにしても。

 

 

こんなわけで、おもしろそれ自体に興味があるのとは違うから、

面白くなろうって目標はずっと達成されずにきている。

来年の目標はこれにしようかしら。でも文体はまだまだ上達の余地があるよねえ。

小説も書きたいし。さてどうしましょうかね。

【発見】人生にやる気が出ないときほどゲームをやったほうがいい

ポケモンをクリアしたら驚くほどに時間ができた。

あれ? 時間ってこんなにあたっけ。本当に同じ一日?

今までこの時間何をしてたんだっけ……。

 

今回かなりよくできていたシナリオを終いまで進め、

ぼちぼち図鑑を集めながらも順調にプレイ時間は逓減していく。

そしてそのぶん、むくむくと姿を現したのが、可処分時間だ。

 

今まで何をしていたか、さっぱり思い出せないけれど、

なんだか得した気になれるから、消えた記憶は戻らんでいい。

 

空いた時間でスラムダンクの映画を見に行ったし、

昨日はアマプラで呪術廻戦0を見て、

今日はずっと放置していた鬱なエッセイ本を読み切った。

 

すごい。どんどん進んでいく。

猛烈にハマる新作ゲームことって、生活リズムの8切りになるんじゃないか。

もしも令和の時代にも伊藤家の食卓があったなら、ぜったい裏ワザとして投稿してた。

今だとライフハックっていうんだろうか。それとも生活の断捨離?

ともかく素晴らしい効果だ。

 

パルデア地方から帰ってみたら、あらふしぎ。

いままでの無で満ちていた時間が、スッキリ一新。

有意義な時間に変貌している。

 

ありがとうポケモン、ありがとうパルデア地方。

スカート履けないことは許してないけど。

 

 

ようし、このまま、

2月から続く鬱で起き上がれなかった日々もリセットしてやろうではないか。

 

ゲームはドーパミンを効率よく刺激するから、

有名シリーズが27年かけて培ってきた脳ハック技術といったら、

それはそれは鮮やかに洗練された芸術の域に達しているに違いない。

 

それだけ没頭すれば、

鬱の靄(もや)に閉ざされたこの不甲斐ない脳みそもスッキリリセット間違いなしよ。

 

 

 

まあ確かに、鬱な人が突然やる気を出すのって結構、いやかなり大分よくないんだけど、

今はなんかやる気になっています。やれる気がしています。

起きろ、起き上がれ、立ち上がるぞ。

 

ああ、ありがとうポケモン。新ポケは準伝説のディンルーのデザインが気に入ってます。

地面タイプで古代鉄器だからヘビーボールで捕まえました。