学園煉獄

クラス軸を自分軸に書き直すための万里の紀行文

ゴブリン不貞寝部隊

面白いニュース!!

今年のイギリスの流行語大賞、「ゴブリンモード」らしいです!!

 

アメリカのインセル、中国の寝そべり族に近い概念で、

ネット上で恵まれた生活をアピールする連中への反抗心から、

あえての自堕落を決め込んだ怠惰で傲慢な態度をいうのだそう。

負け組のリアルをゴブリンというコミカルかつキャッチーなアイコンに表象させたセンスが光る。

 

2007年頃の2ちゃんねるにあった

「彼女がいないからボランティアはしない」スレを髣髴とさせますね。

これはもう120年の時を経てタイムリーに再結成した日英同盟ですよ。

むくむく膨れ上がる共感。湧き上がる感動。ポポポポポ、ポピューッ(沸騰音)

 

20年くらい前のインターネットでは「ネコミミモード」が流行っていたけど、

当時のオタクが今や中年になり限界を迎え、

開き直ってゴブリンモードしていると思ったら梅干しみたいな顔になっちゃった。

 

 

 

昨日のtwitterトレンドに入ったのは「リア充ども」のほうだったけど、

今もうリア充って言わなくないですか?

 

ネットはすっかり僕らの楽しい遊び場じゃなくなってるし、

「リアルが充実」って概念が精神的に共有された拠り所になるのってもう難しいんじゃないかな。

学校で調子に乗ってたタイプがそのままネットでも調子に乗って、金も稼いでる(=社会)。

リアルとネットがシームレスに連結した地獄に合った概念が求められています。

 

そこでゴブリンモードですよ。

地獄と言えばモンスター、モンスターと言えばゴブリン。

 

 

 

そんなしょーもない言葉が流行るより、

地道にコツコツ生きてきた人たちが幸せに暮らせるのが一番いいはずなんだけど、

真面目は結局宗教だったから。形を変えた「貧しき者は幸い」って祈り。

 

死んで現世がそこで終わる宗教と違って、

約束されたはずの幸せすべてが全くのデタラメだったと知った先に、

本当の地獄が待っているクソッタレな祈り。欺瞞に満ちた祈り。

 

 

僕の余生の活動は、この問題への清算というか、

クラスの支配者の行動様式が是とされる価値体系がいつまでも続く中で、

そこからどうにか自由になろうとする試行錯誤であろうと思ってるんだけど、

ひょっとして世間の皆さんって、別にそこまで苦しんじゃいないの???

 

楽しそうにスプラトゥーンやってる人たちとか見てるとそう思うんだよ。

案外みんな普通に学校の教室から自由になって、

思い思いに好きなことやって楽しく生きてるんじゃないかって。

 

僕はポケモンやりながらも、もちろんスプラしてても、

社会が「かくあるべし」と追い立ててくるノコギリの音が絶えず聞こえてるのですが、

これはどうしたらいいんでしょうね?

無意識ってすごい!

最近ちょっとだけ早く寝られている。

睡眠に余裕ができたから夢を見ることが増えたんだけど、異動前に一緒だった美人の出現率が謎に高い。

馬場ふみか辺りの系統で、それはもう見るからに別次元の、まあとにかく見栄えのする新人。まったく親しくはない。

 

お互い労働に来ているはずの場所で性とかナンセンスだろ!

ってか対象外の異性が異性として近づいてくるとか気味悪すぎて動悸がするわ!!

と、ほぼほぼ無干渉ノータッチでいるまま、お互い異動になったのだった。

 

むしろ美人が入ってから逆に労働環境が学校ぽくなってQOLはだだ下がり。

なんか妙に若手仲よくしよう企画が増えるし、

それだけなら3回に1回くらい顔出せばいいだけなんだけど、

 

それまで単にノリがユルいだけだったオッサンが途端にイキりだして、

デカい声で30分も1時間もギラつきワルアピールするようになり、

耳障りだわ、中学を思い出して腹痛くなるわ、イラついて作業にならないわでストレスがマッハ。

 

日々毎日常時イラつきMAX状態になり、美人がいるのも考え物だなと思った。

もう二度と学校の教室(ルビ:あの地獄)には戻りたくないから。

 

 

そんな美形新人が立て続けに夢に出てきて、

決まって毎回仲良くなろう規格が立ち上がり、自分も参加表明をしたところで、

直前に何かいろいろアクシデントがあって中断したまま目が覚めるということが、

ここのところ34回ある。目覚めたとき胸がほくほくしている。

 

ああ、本当は仲良くしたかったんだな。わかったから鎮まれ、無意識。

 

 

 

無意識は強いので、皆さんも無意識とはうまく付き合ったほうが良いですよ。

僕は割と無意識を信仰してて、とりあえず無意識はすごい。

どうすごいか皆さんにもわかる例を挙げるなら今回のワールドカップ

 

死の組を1時通過した日本。強豪ドイツとスペインに勝ち、なぜかコスタリカには完封負け。この一見意味不明な戦績は、無意識で見ればいたって簡単。

油断したほうが負ける。シンプルにそれだけ。

選手たちは意識の上では全力本気のプレーだったろうけど、無意識下ではどうしても油断があったのだと思う。無意識が世界最高峰のプレーに影響しているさまを目の当たりにして、無意識の凄さに感銘を受けてるところ。

 

コスタリカ戦で交代っぽい雰囲気が出てたとき、控えの選手もアップしてたのに一手遅れて、攻め込まれ点取られたじゃないですか。あれ多分無意識の影響。ドイツ・スペイン相手にあの状況ならすぐに交代切って流れをリセットしてたと思う。無意識が遅れを生んだ。無意識はすごい。そりゃドイツのリュディガーも走り方が変になるよ。

 

これは散歩中にあった街路樹の柑橘。柚子?

いまさら他人と仲良くするの無理だと思うので、可愛い動植物とよろしくやっていきたい。

もう二度と、新宿に行くことはないんだろうなと思ってた

埼玉からはるばる自転車で2時間。

2年前に永遠の別れを告げたはずの新宿に行った。

夢を見ているよう

 

持病のある自分が再び都心足を踏み入れたこと

まったくもって現実味がなくて、

視界全てがぼやけた感じ。

 

「あのディスプレイ、ネットで見たやつだ!!」って

チャレンジの販促漫画みたいな高揚もあった。

いま書きながら追体験してる。本当に行ったんだなと思う。

 

2020年はマジでもう死ぬと思ってたし、

本当にもう都心に行くことはないと思ってたから、

目に映る景色ひとつひとつが夢うつつのようだった

自分の人生にもまだ、新宿は現実の場所として残っていたらしい。

 

それでも世界はまだ悪意と脅威に満ち、平和になるのはまだまだ遠いから、

用事を済ませてラーメンかき込み流れるように帰路につく

 

コロナ拡大をデマで煽った連中は未だ社会公に断罪されていない以上、

奴らの悪意に害されるわけにはいかぬ。

ラーメン屋と焼き肉屋はデフォで換気設備が強いから行けるのだ。

 

 

今回都心に行ったのだってマストな用事があったからだけど、

それはそれとして案外行けると分かったのがドデカい収穫だった。

意外にもフツーに行けてしまう。そういや東京って埼玉と地続きでしたね。

 

往復3時間強をフツーと言ってよいのか定かではないが、

その時間だけ自転車をこげば都心のラーメンにありつける。

池袋も射程内だ。どんどんラーメン欲が高まってきたぞ!

 

 

ラーメンと言えば旨さと健康がトレードオフしてる禁忌なる食べ物のところ、

今回発見されたメソッドではカロリー消費までできてしまうんですね。

これはグレイトな発見ですぞ博士!

 

9時に家出て11時の開店に凸して13時半には帰宅してるの。

これは夢が広がリングですな。

 

 

これは道中見かけた柿畑。

柿は丸くてマジ可愛い。

 

秋一色に染まった中でムッチムチの柿がひしめいてるさま、最高。

ヘソみたいな部位がお相撲さんのおなかみたいでしょ。

 

フルーツ界では桃の次にプリティだと思う。

次点は栗で、その次が花梨。味は正直好きじゃない。

やっぱり果汁が、ないとねえ。

メンタル「いっやぁ! えい!」(ズスッ)

自分の人生を自分の足で歩むため、

さっそく1日ひとつ何かを決めて、

その日のうちにやってみることにした。これはその記録。

 

月曜日、花梨を探す。花梨の実はかわいいので。

昼休みに住宅エリアをぐるぐると散歩するも見つからず、

さりとてそれはそれで良し。

 

火曜日、スタバのイチゴを飲む。

おいしい! 翌週には売り切れるタイプの味!

花梨も見つけた。やはりかわいい。

 

水曜日、豆花を食べる。

謎の白いプルプルを浸す謎の甘い汁、ほんのりした味で好き。

 

木曜日、睡眠時無呼吸が発動して眠すぎたので早く寝た。

 

金曜日、あんみつを食べに行く。

「うわーん! あんみつが食べたい! あんみつが食べたいよぉー!!」

と、あんみつを求める気持ちが発作的に峰なゆかになったので、

あらあらこれは重篤ですねと急いで向かう。

 

ショック!

 

店の前には待ち人の列。視認即180度旋回。

いいんだ。今は行動したことが大事。

 

自分で決めたことをその日実行する。これだけで全然違う。

胸が高鳴り勇気がわいてくる。

 

「こっ……これが自己効用感ってやつか……!」

時流の淀みで停滞するばかりだった無力な日々よさらば!

 

 

と思っていた矢先に現れた招かれざる訪問者!

人生が日陰側の人はわかるよね。こういうタイミングで奴がくるってこと。

 

 

土曜日、朝から感覚が違う。キンキンだ。

鋭く研ぎ澄まされた冷静な視線がこれまでを振り返る。

批判者としての自己が頭をもたげ、こう言うのである。

 

「成果物…………なくね?」

「人生、時間以外に何が進んだの?」

 

え、あ、ハイ。そうッスね。成果、特にないです。

花梨の可愛い写真? ないです。ハイ。他人の家なんで。

ハイ。確かに。進んでないですね。おっしゃる通り。

ごもっとも! ごもっともでございます。

 

 

 

ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ……

 

 

 

ゴモットモォォォーーー!!

(ズドーーーーーーーーーン)

 

 

突然バオバオ大王になった僕の自己肯定感は、

大爆発を起こしてピューっとしぼみながら空の彼方へと消えていきました。

 

と、いうわけで今週は再び何もできない無の週だった。

土曜日にようやくクレープを食べるまでに回復。

これはまた峰なゆかが「うわーん! 食べたいよー!」って泣きだしたからで、

この峰なゆかは俺です。

 

 

いやいや、うっかり忘れていた。

自分の意志で行動すると威風堂々たる高揚感が沸くのと同じく、

凹んでるとき、悩んでいるとき、打ちひしがれているとき、

うっかりメンタルのステージをプラスに振ってしまうと、

後日強烈に深淵へと引きずり込まれるというのも、また心理。

皆さんにもよくあるものかと思います。

 

メンタルのファイナルカッター。

景気よく上げすぐ戻る。戻そうとする。精神的な全モ圧。

 

難儀な人生を送る皆さんもお気をつけあれ。

 

こういう画像作るセンス、図工の授業からずっと苦手でコンプレックスだから余生あるうちに克服したい……

自分の時間を歩め(ハイハイ編)

自転車をぎゅんぎゅん漕いではるばる1時間半。

里山に晩秋のきのこを探しに行った。

夏からコロナでずっとだるくて、病院も空いてなかったから、今年の山は初。

 

週末は両日晴れると分かると即座に脳内決行ボタンが押されたんだけど、

いざ行ってみると目ぼしいきのこは殆どなかった。まあ自然のものだし仕方ないね。

また1時間半かけて帰った頃にはすっかり暗くなってた。

 

翌日曜日は気を取り直し炭火でケバブ的な串を焼いた。

焼いてるそばからお祭りみたいなにおいが立ち込めるのでワクワクする。

クミンとオレガノがそれっぽさを出すのだ。

 

今回はトルコデーを自称してピタとフムスも作ってみたけど、

どういうわけかピタが膨れずに終わってしまった。

イーストのやつは寝坊助さんか? お陰で油味の粉っぽいナンになったよ。

 

 

今週、久しぶりにやりたいことができてよかった。

やると決めていたことができた。これだけで陽の光が美しい。

 

自己決定感だか自己効用感だか、とにかく自分の人生を自分で歩んでいく感覚。

 

かれこれもうずっと翻弄されてる自覚があって、

時間と時代に流されるばかりで、

何もできないまま無力感だけが傍に淀みを増していき、

常にふさぎこんでいるような感覚があったから、

今週はかなり良かった。解放の念があり晴れやか!

 

自分で決めて自分でやれるのってドベ付近の人生にはかなり効くっぽい。

 

先延ばしにしたタスクは脳を圧迫してストレス源になるなんて話もあるけれど、

それより有言実行の逆を行く自己への軽蔑と焦燥のほうが重大な悪影響っぽい。

そうやって積み重なった自己嫌悪がアイデンティティにシミを付けてゆく。

 

その逆も死んだとするならば、11個朝決めたタスクを夜寝る前までに終えておく生活。

これが精神衛生の向上にむくむくと組する未来が見えてきた。

 

 

柔らかな文体を欲してジューンレイさんのブログを写経だしてから1か月以上たったけど、

あの瑞々しい文章は商業媒体のコラム用に腰を据えて書いてるっぽいことがわかってきた。

 

才能か成人までの人生の下地でポーンと出るものじゃなく、相応の手間暇をかけ、

ようやく瑞々しくて華やかで弾力のある、あの仕上がりになるわけだ。

 

これが! あの! 色々なところで言及されている手直しの重要性!!

なんとなくだがよーやくわかったぜ。もうオッサンになっちまったけどな!

 

11自己決定のトレーニングして、自分の時間を取り戻したら、ブラッシュアップの時間をとろう。

 

 

これはシャインマスカットですが、
シャインマスカットが甘くておいしいのは周知の事実ですね。

フルーツは甘い現実逃避だけど、今日は確固たる現実を生きたので、確かな甘み。

心なしか見かけるスズメが太ってきた

秋の匂いが変わっているのに気が付きました???

 

空気がしゅっと落ち着いて、すっかり慎ましやかになり、

気づけば外は落ち葉の匂い。

秋の匂いには2種類ある。

 

秋の始まりに香る、ほっこりワクワクする匂いと、

秋が終わりに香る、一年が閉じてゆく物悲しげな匂い。

 

夏が終わって寂しいなー。

それでも秋は実るし、なにより鮮やかだからなー。

前者はそんな気分を運び、後者のほうは、

ああもう冬が来るんだな、というある種の諦観を乗せてくる。

 

いやいや秋の始まりの香りはキンモクセイだよ。

一理ある説だ。確かに何割かはそうなんだろう。

 

でもね、そうだとするならば、北海道はどうなるっていうんですか。

きのこ帝国の楽曲で知ったんだけど、北海道にキンモクセイはないんだってよ。

 

そんな……日本の秋といえばキンモクセイなのに……。

信じられないけど、ないんですって。キンモクセイ。ちなみに沖縄にもないらしい。

 

だとすると本州でしか秋は香らないってコト?

いやいやそんなことはないはずだ。

 

夏が過ぎたころは割と北海道に行くんだけど、

札幌の公園や住宅街の香りは、夏の余韻を残した本州のそれとは違っていて、

街はすっかり秋の気配で満ち、そして確かに秋が香る。秋の香りに包まれている。

 

 

包まれているッ!!

 

 

キンモクセイがない北海道でも秋は香る。

それが何なのかはわからないけど。

同じ甘さでもカリンの甘さは晩秋の憂いのスパイスでしょう。

 

10月下旬の落ち着いた空気は銀閣寺を見ている気分。地味風流。

雅やかであることの対義語って何なんだろう。それを感じる。

無常観と寂寥感。静かに閉じてゆくんだなあという感じがする。

 

キンモクセイの香り、栗やきのこの可愛らしい丸み、鮮やかに色づく木々の葉たちは、

なんかそういう哀愁への麻薬的な作用なんじゃないかなという気がする。

麻痺した部分が緩むにつれて、徐々に確かに秋が深まってゆく。

 

 

「包まれているッ!!」をジョジョっぽくポージングしたら、オルゴ・デミーラになってしまったわ。

 

これは頂き物の生ピーナッツですのよ。オホホホホ。

いつまで2008年でいるつもりだ?

友達の姿を見かけると、兎にも角にもげらげら笑う。

そんな時代がかつてはあった。

 

何がそんなに嬉しいものか、自分でもわからぬまま、

みるみるほころび浮きたっていく口元がどうにも恥ずかしくて照れくさくて、

ごまかしがてら大げさにだっはっはっはっと笑った。

事実気がふれていた。

 

世の中全てが色を失い、ペラペラでカラカラの灰色になって、

吹きすさぶ風に削りとられてはぺりぺりと剝がれていったあの頃は、

世界のすべてが鋭く冷たく意地悪く、せせら笑っているように思えて、

そんな中で確かに自分にも友達がいるのだと実感できる瞬間が、

たまらなく嬉しかった。

 

自然とにんまりしていく表情筋の具合からして、

それは自分が思っているよりも喜びに満ちた事実だったに違いない。

 

 

 

「いつまでも2008年くらいの気分でいるよね」

あきれた調子でそう言ったのは別の友人だ。

 

これには一つ誤りがあって、彼と初めて会ったのがそのくらいだというだけだ。

僕の心はそれより前、世界の色とともに死んだ。

高校の入学式で世の不平等を痛感した時に死んだ。

彼にあった時にはすでに死んでいて、死人だから歳をとらない。

 

行動範囲と消費の自由度だけが心の命日よりも広がり、

その新しい当たり前だけが令和4年の実感だ。

 

 

皆が先へ進んでいく中、自分だけが進まず留まり置いて行かれる原因は明らかだ。

それでも僕は切歯咬牙と共にありたい。

共にあって先に進みたい。

 

ジューンレイさんのコラムを写経はじめてそろそろ1か月。

せめて発信力を。世界が無視できない発信力を。つけるぞ。今度こそ。