ポケモンとナルトと呪術廻戦(SVトンデモ感想)
「おまえだけしか着目しないポイントに謎の意味を見いだして熱くなってもさぁ……」
と言われたことがあります。なぜ僕の漫画やゲームの感想が誰にも読まれないかの話です。
思い当たる節、たしかにあるけれど。タケノコの先っぽがごとく無数に詰まっているけれど。
「どこかに居るはずの似たような奴にとどけ!」って想いでネットに書いてるわで……。
自分みたいな奴がどこかに居ると信じて、ポケモSV関連の、そういう類の感想を書きます。
突然ですが皆さん、アオキさんは好きでしょうか。
スルメキャラの多いSVにおいても屈指のスルメであるところのアオキさん。
噛まないと味が出ないなら出番を増やせというわけで、
他の同僚たちよりちょっぴり出番が多くなっています。
お陰でジムリーダーやら四天王やらと一緒に和気あいあいと二次創作され、
プレイヤーから愛されている良キャラとなりました。
無口なようで語り出せば案外お喋りで、
不愛想ながらエンディングにはさりげなく顔を出す義理堅さ。
この人となり描写が実にリアルで、実際こういう人いるし、
このタイプの人のこういうところが良いよなって僕が思う魅力を、
的確に描きだしていて最高でした。
今回のヘンテコ感想のキーマンはアオキさんです。彼から感想が連鎖していきます。
さて、このアオキさんですが、誰かに似ていやしないでしょうか。
寡黙で陰キャな実力派サラリーマン。ビジネスライクに見えてしっかりと情がある……。
そう! 『呪術廻戦』の七海健人です。ここは瞬時に連想してほしいところ。
ほら、昔なんてガンダムの台詞言うモブとかいたし、影響があってもおかしくありませんよね??
『呪術廻戦』も、特に暗い意味で多様性が意識されたキャラクターが多く、
いじめに毒親に事故死。田舎の閉塞感に、障害と才能と男社会。
あらゆる社会の不条理が描かれながらも、「暴力的な古い笑いが好き」な下ネタ芸人がいたりする。
『呪術廻戦』は血生臭いながら、真正面から多様性に挑戦している漫画だ。
そして、読んでいてモロに影響を感じる作品に『NARUTO』がある。
言わずと知れたレジェンド漫画だが、その第1話に『うしおととら』に酷似したコマがあり、
連載当初物議を醸したことは、今どれだけ知られているだろうか。
無論、あのコマはパクリではなくオマージュだと、断言できる。
岸本先生がオリジナリティの為に血の滲む努力をしてきたことは単行本で語られているし、
ジャンプ編集部が、あんなに売れそうな漫画の1話で、パクリにOKを出すはずがない。
絶対に譲れない意図があって、構図を寄せにいったはずなのです。
件のコマは、『うしとら』の中でも特に印象的な、カマイタチの十郎のエピソードのもの。
岸本先生はあえて、十郎とナルトを被らせるような描きかたで第一話を始めた。
ナルトが火影になることで、非業の死を遂げた十郎を追悼する意図があったのだと僕は思います。
物議を醸したあの第一話は、ガチファンによる壮大な二次創作だったのではないでしょうか。
人間を殺しまくって奴らの中に俺の名を刻むんだと絶叫する十郎が、僕は大好きなのですが、
『NARUTO』の成功によって多くの人の中に、ある意味で十郎の生き様が刻まれました。
それと同じことが、ナナミン→アオキのラインによって、『ポケモンSV』でも起きています。
『呪術廻戦』は『ポケモン』よりずっとシビアで血生臭いので、バンバン人が死んでいきますが、
学校でいじめの仕返しで大虐殺をした吉野順平くんは、その先陣を切ったキャラでした。
あの結末は大分丁寧にフォローとなる描写がされているのですが、バッドエンドなのは確か。
ナナミンもその場に居合わせましたが、順平くんを救うことはできませんでした。
翻って『ポケモンSV』はどうでしょう。
いじめられていたスター団は、
センセーショナルすぎる仕返しが原因で学校に居場所を失い、
毒を食らわば皿までと迷惑集団と化していました。
しかし真実を知った校長は自ら頭を下げ、恩赦を出し、全員を復学させました。
いじめ被害者によって大切なことは何でしょうか。
僕の体験をもとに話せば、一番は、加害者をしっかり悪者にし、
傷つけられた被害者の尊厳が、かけがえのないものだと周囲に知らしめることです。
これをやらないと、被害者はいつまでも自己肯定感の喪失に苛まれることになります。
『呪術廻戦』において被害者の順平くんは死んでしまいましたが、
この点のケアだけはしっかり描写されました。
しかしこの方法は、尊厳の概念を解さぬ年齢でも遊べる『ポケモン』には不向きです。
では二番目に大切なこと。
もし最初の加害者を制裁せず、被害者に理不尽への忍耐を求めてしまったときは、
被害者に反撃の自由を認めることです。
これはこれで暴力的であり、一般には奇麗事によって否定されるのですが、
だからこそ、いじめ問題は根深く、場合によっては被害者の苦しみに終わりがありません。
『ポケモンSV』はその点に果敢に挑み、
仕返しそのものを直接描かずに恩赦だけをクローズアップするという神采配で、
これまで誰もやってこなかった解決策を世に出しました。
アオキさんにはナナミンの影響が見られます。
『ポケモンSV』も『呪術廻戦』も多様性を意識し、日陰者にスポットを当てた作品です。
両タイトルは深いところで繋がっている。つまり、吉野順平くんが遂に追悼されたというわけです。
彼のような学生だった身として、これほど嬉しいことはない。
ありがとうポケモン。ありがとう呪術廻戦。それでは皆さん、お疲れ様でスター!