学園煉獄

クラス軸を自分軸に書き直すための万里の紀行文

町の歴史を見た

きょうは馴染みのない土地をちょこっと散歩した。

いろいろな発見があって楽しい。

 

今日のエリアは、フルーツ推しのフルーツ通り。

ぎゅるんぎゅるんに伸びたブドウに、しゃなりんと色づきはじめたプラム、

鈴なりのビワ、厳かなサルナシのツルに、園芸種の桑の実と、

どの家からもウチの子が一番ですと言わんばかりにご自慢のフルーツが張り出す。

 

そんな中で一軒の家が目に留まった。異様。その空間だけが色褪せている。

 

木造建築……と、いうわけでもない。

ところどころに工事現場の防壁みたいな板や赤茶けた鉄板も目に入る。

あまりに昭和然としていて、そこだけ時空がねじ曲がって破けているかのようだ。

 

こりゃ空き屋かなぁ、と思ってベランダを見上げる。

まだ晴れている時間だったが、やはり洗濯物の影はない。

道路に面した曇りガラスの奥に向けて感覚を砥いでみるが、

やっぱり人の気配はなく、その一帯だけが静かに沈んでいるようで、

木造の玄関の前には野良の桑の木が伸び始めていた。無論、園芸種ではない。

 

そればかりか、桑の隣には場違いな巨大な岩が転がり、窪みに水をたたえている。

ウワッ、ボウフラ生産工場!

夏場の地獄絵図を想像して思わず顔をしかめた。

なぜ玄関に岩が……

 

岩と言っても玄武岩的な黒ではなく、琥珀かべっ甲のように艶やかな赤茶色だ。

昭和家屋でありながらそこだけ妙に洒落ている。しかもよく見ると、

上部の水溜まりの底で細かい砂たちが光を折り曲げているのか妙な輝きがある。

これが不思議と奇麗なのだ。

そして水辺には、ちょこんと親子カエルの置物が。

 

そうか。

この岩、水が映える色なんだ。水が主役の岩なんだ。

 

塀のない庭には一面ドクダミが生い茂っていたけれど、

よく見ればいくつか同様に岩が置かれ、その全てに水溜まりがあってカエルがいる。

伝わる趣向が強烈すぎる。顔も知らぬこの家の主は、この小さな池を愛していたのだ。

おれもいいと思った。おれもその水辺を気に入った。握手したくなった。

 

そればかりか、木造の玄関もよく見れば趣深い佇まいだし、

板と鉄骨のベランダも、在りし日は可愛らしい色合いだったように見える。

家主はきっとセンスのある人だ。印象はすっかり変わっていた。

 

そわそわしながら郵便ポストを探す。

口をガチガチに巻いて封じる養生テープが、主の不在を物語っていた。

わかっていたが妙に寂しく、祈るようにもう一度曇りガラスの奥を見る。

気配のない室内。視線を落とせば、きらきらと輝く小さな水溜まり。

 

親族もこの家、壊したくないのかも。少しでも長く残っていてほしい。

いずれフルーツの賑やかな新築が経つのだとしても、一日でも長く。