学園煉獄

クラス軸を自分軸に書き直すための万里の紀行文

なけなしの人権を爆発力に変え敵を討つ呪文

人生すべての怒りと無念をこめた特攻を仕掛ける対象が、

偶然選ばれた不運な誰かや、社会とかいう漠然とした何かでもなく明確な加害者であり、

しかもその場所が法廷であるというのは、なんと健全なことだろう。

 

訴えて主張する術がないなら、訴えさせて争えばいい。

大学に入ってすぐの授業で習った気がするけれど、僕はその教えを忠実に守ったことになる。

 

コロナ拡大プロパガンダと戦う。

5類になるならなおさらだ。

僕ら基礎疾患持ちを含めた高リスク層を社会の合意で始末しようと、

連日デタラメを吹聴してコロナ軽視の世相を作った奴らの責任を追及する。

2020年下半期の絶望的な世相は繰り返させない。

 

「政府は早くコロナ弱者をトロッコで轢き殺せ!」

 

そんな耳と良識を疑う発言が全国ネットのお昼番組で堂々と流される、

あの異様な状況、あの頃から続くデマと詭弁とプロパガンダが、

人権侵害だと世に知らしめようと思う。もう無視はさせない。

 

 

自分を恥じて生きることこそ辛いことは、世の中そうそうないと思う。

自己肯定感や承認欲求という言葉がメジャーになって久しいけれど、

これらの言葉が流行る前から、僕はずっと自己肯定を渇望してきた。

周囲がいじめの対処を誤った子どもは、このドツボに嵌りやすいのではなかろうか。

 

暇さえあれば聞こえてくる嘲りの囁き。理不尽に振るわれる暴力と加害者たちの嬉々とした表情。

そういったものに削られ続けた自尊心がある閾値を超過して、

普通の人生に戻ることが決定的に困難になる瞬間というものは、確実にある。

 

加害行為をやめさせるだけではない。

一般の生徒たちの中にあっても、

なんとなく「恥ずかしい」あるいは「劣った」存在となっている被害生徒(児童)が、

かけがえのなく尊い存在であることを同級生たちに示し、

その自尊心をケアするプロセスが必要だ。

 

この劣後的な恥ずかしさの自己認識への固着こそ、

いじめの対処において最も注意して避けねばならない最重要事項だと僕は思う。

 

時間が解決すると言う人もいるけれど、僕の場合はまったくの逆で、

時間の経過や加齢に比例して、それこそ進行性の基礎疾患のごとく、

徐々にジワジワと確実に深刻に人生を蝕んできている。

 

あの時ちゃんと仕返しで来ていたら、きっと人生マシだったのに。

しかるべき時にしかるべき相手から尊厳を勝ち取っていたなら。

世界はもう少し明るかったのに。

 

当時なまじ成績が良かった僕は、内申書を気にして、反撃をしなかった。

いい学校に行けば人生を逆転できると嘘八百を吹き込まれていた。

 

いざ有名校に入ってみれば、

そこは自尊心を傷つけた人間が身を置いて無事で済む場所じゃなかった。

そこは全てに恵まれた勝ち組が暇さえあれば自慢を繰り返すディストピア

いじめられた人生を逆転したくて勉強したような奴は、

そいつらの全能感を育てるための肥やしでしかないと、入学初日に世界は色を失った。

 

生まれた時から定められている歴然とした恵みの差。

それを痛感し絶望し世界への呪詛を繰り返す毎日。

有名校がこんな場所だと知っていれば、

世の中がこうも理不尽で不平等だと知っていたなら、

せめてあいつらに仕返ししていたのに。後悔してもしきれない。

 

嫌な奴がいいめを見ている、他人が運良く幸せになっている。

そういう場面を目にするたびに思いは強くなって。後悔に後悔を重ねて。

 

自尊心が既存したまま過ごす人生の辛さはよく知っている。

けれども全てを投げ捨てたなら、きっとこれまで僕が普通に享受してきた、

少なくとも不遇の側ではなかった生活の諸領域が顕在化して途端に牙をむくのだろう。

あれほど不幸だと思っていた人生にまだ恵まれた部分があったことを知るのだろう。

 

そうだとしても、僕は自尊心を勝ち取るほうを選びたい。

他の何がどうであれ、自尊心がないことはつらいんだ。

ほとんどの価値はこの人生に触れるとたちまち風化し塵になってしまう。

 

なら人生をこのまま穏便に安寧に続ける意味はない。

もう二度と、侵略者にやられっぱなしでいるつもりはないし、

金のためにデマを流して他人の死を扇動するなんて暴挙が許されてはいけない。

 

コロナデマをメディアに載せて挑発し、

それに怒ったカモをわざわざ探して、訴えてフッかけて丸儲けだとよ。

幸いロクな人生じゃないんだ。徹底して戦ってやる。

 

なんともひどい話だけれど、考えようによってはこれはチャンスなんだ。

僕の命の尊厳のために今度こそ戦える。

いかにクソな人生だって、他人の金や道楽のために一方的に奪われていいはずがない。

 

僕ら基礎疾患のある国民は、奴らのデマで命を危険に晒されている。

死んでもいい存在だと吹聴されて、命の価値を貶められている。

僕は一度呼吸が止まっている。意識も失っている。あの日は確か2020年12月19日。

他人の金とワガママのために死の淵に追いやられた。

 

戦わないのはあり得ない。やられっぱなしになるなんてダメだ。

中学時代と同じ轍は踏まない。絶対に寿命まで生きてやる。幸い持病で短いんだ。

 

だからどれだけ辛いことがあっても、歯を食いしばって生きてきたんですよ。

それを他人の金儲けのために終わりにされていいはずが、ないじゃないですか。

何故、重症化する2割は犠牲にしようだとか言われなきゃいけないんですか。

その根拠として吹聴されるデタラメと扇動屋に、怒り猛ってはいけないのですか。

深刻に理解不能。それって黙って死ねってことですか? やだね。

 

どんなに惨めで無様な負け組の人生だろうと、この命には価値がある。

世間にそれを認めさせるべくデマと戦う。

僕には尊厳があると今度こそ主張する。二度と退かない。折れても戦う。

そして約束させるんだ。

 

新型コロナのデマや詭弁は、高リスク層への人権侵害であり、社会はもう二度とそれを認めないと。

 

どうせロクな人生じゃないんだ。自尊心を勝ち取ってやる。

ここで退いたら自己否定から永遠に抜け出せない。

だからやろう。滅びるまで闘争しよう。